宿題 #1(河邉彰男様)

※この文章は「宿題割引」でVOLUME 1『うみべのクロノス』を観劇した来場者によるレビューです

お名前
河邉彰男 様

観劇日時
非公開


「うみべのクロノス」感想文

 クロノスとは時の神。

 まあ、「もう引き止めることができない《時間》のお話。」と書いてあるのだから、それは当然として、話が少し進むと判るのだけれど、ヒメとヒバナとワタツミ、この3人の会話が、同じ事象を話しているのに現在形と過去形が混在していることに気づく。事象の進行が同一ではないわけだ。そんな中で、過去の回想もされるのだから、交差する時間を順序立てて、観て行かねばならない。

 もう1人の登場人物である少女。彼女の名前は劇中では語られないし、本人も分からないらしい。一応、パンフには「クロノ」と書いてある。彼女は、ヒメやヒバナから話しかけられる態をなしているが、クロノの問いかけや発言に、彼女らは一向に反応する気配はない。クロノはひたすら居残りを続ける少女。着ている制服もヒメ、ヒバナと同じなので、当初、この物語のキーマンなのかと思うのだけれど、どうしてか舞台に存在しているにも拘らず、クロノ自身が悲嘆したり心配したりするものの、一向に話には絡まない。

 ワタツミはそんなクロノと違い、看護教諭という立場から、ヒメとヒバナに積極的に関わっていく。ただし、彼女にも自ずと関わり方に限界がある。ヒメとヒバナの心の傷・痛みにどこまで癒しを与えられるか、最善の対応とはいかなるものなのか、そもそも彼女自身に踏み込める領域の問題なのか、彼女は思い苦しむ。それでも、できうる限りのことをしてあげようというワタツミの視線は温かい、そして無力だ。

 ワタツミはヒメに言う「もう楽になってもいいんだよ」。これはヒメがヒバナに言う言葉と同じだ。時系列では、どちらが先かわからないけれども、ここにヒバナの身の上に対して、人間としてできることの限界を感じる。確かに問題を家庭相談所に持ち込むとか、社会的な対応は、可能かもしれない。しかし、それは解決ではない。対処療法として傷の一層の悪化を避けることにはなるだろうが、けして傷を癒すことにはならない。

 アイルランドに行きたいというヒメ、隕石落下で全てが無になればよかったと思うヒバナ。ヒメはとにかく遠くに遠くに行きたいと願い、ヒバナは存在の基盤がなくなってしまえばと思う。

 ヒメは全てが忘れられるなら生きていたいと思っている。ヒバナは死にたいというのではなく、無に帰りたいと思っている。しかし、結末は惨酷だ。忘れることなどできず、ヒバナに対する罪の意識を拭えないと悟ったヒメは、全ての罪業を背負い、自ら取り返しのつかないところまで行くことで、自らの存在を失うしか道がなかった。逆に、自らを無に帰する機会を持たないヒバナは、生き続けるしかない。

 結果、全ては悲劇に帰する。ワタツミもヒメも無力だ。しかし、ワタツミは信じる、いつかヒバナが保健室に来なくなる日を。無力だからこそ、できることをするしかないといった諦観と希望の二律背反にかける。そう、卑怯かもしれないが、時が解決することを祈るのだ。

 そして、ヒメの霊とヒバナの存在をクロノつまりクロノスは、ただただ居残りを続けながら見守っていくのだ。ヒメの手紙が海辺にたどり着くまで。クロノスは、その瓶に入った手紙をヒバナに届けるだろう。そうした時、ヒメの霊は救われ、ヒバナは生きる力を得るのかもしれない。

 時間が交錯するのは、神の視線で観ているから。なぜなら、神は人知を超えて歴史を観ているのだから。しかし、矮小なる人間は、僅かな時間の中で、時間に抗うことすらできずに、ひたすら無力を悟って生きていくしかない。

 神(クロノス)と人間(ワタツミ)が傍観する物語。嫌いじゃないです。