宿題 #2(村上晴彦様)

※この文章は「宿題割引」でVOLUME 1『うみべのクロノス』を観劇した来場者によるレビューです

お名前
村上晴彦(むらかみ劇場2

観劇日時
2018年3月24日 19時30分


人間機械『うみべのクロノス』を観て

 “誰かが見てくれていて幸せ”なのか、“誰かに見られていて不安”なのか?風に舞い落ちる一枚の葉が、どちらを上にして地に落ちるのかギリギリまでわからないように、紙一重の世界に我々は生きている。

 今回観たのは、「人間機械」さんの、『うみべのクロノス』です。お値段¥3500。ちょっと高いなぁ(それでも相場からすると普通かやや安いくらいなんだけど)、と思いつつホームページを見て、「宿題割引」なるものがあるのを知るに及び、「いやぁ、でも1500~2000文字は結構ハードル高いぞ」、「せめて1000~1200にしてくれないかなぁ」という狭間で数日揺れた後、「まぁ何とかなるだろ」と思いこれを選択する。要求する字数がちょっと多いことを除けば、こういうシステムがあるのはいい、と思う。そして今、字数稼がなきゃ、との思いから、直接本編とは関係ないことをだらだら書いている。主催者の望むところではないだろうなと思いながら。ごめんなさい。m(_ _)m

 「隕石」とは一体何だったのか。冒頭、ラジオから流れる隕石落下のニュースを聞いて、「でんぱ組.incの『あした地球がこなごなになっても』が頭の中で流れる。が、どうもそういう終末的な世界観ではなかったようだ。隕石とは、爆死(焼身自殺、かな…?)した姉・ヒメのことなら、そっちがヒバナじゃないかと思ったりもするが、どっちでもいい話。そこまでぶっ飛んだ話でなく、もう少しサイコドラマ。

 素朴な疑問なのだが、上演パンフレットには「17年5月…(中略)…『穏やかな暮らし』にて旗揚げ」と書いてあるのだが、今回がVOLUME1。なんでだろう?よくわからない。そもそも時間などここにはない。だからきっとそれでいいのだろうと勝手に納得する。ならば妙に導入→展開→結論みたいな、理路整然とした論評は、この芝居にはそぐわない。だから、敢えて思いつくままに思いつくことを書いてみる。順序も配列もバラバラに。好きなところを拾ってもらえればそれでよい。

 「仄暗い少女趣味を基調とした作品を創作している」のだそうで、登場人物たちは、若い女優さん数名。決してこちらを向いていない。それどころか、相手役すら見ていないように見える。みんな隔絶している。クロノが二人を心配しているかのように振る舞うものの、届いてはいない。この現実感のなさ。やらないので詳しくないけど、ラインやツイッターでのやりとりを見ているようだ。「わけわからないままだったら宿題やりづれぇ」などと不謹慎なことを考えながら観ていくと、家庭内性暴力を巡る義理の姉妹の物語と判明してゆくのでちょっと安心した。きっとこのへんが、「仄暗い少女趣味」。

 「遊空間がざびぃ」の「がざびぃ」とは、どういう意味なのだろうか?ネオジオンのモビルスーツ「ガザB」くらいしか咄嗟に思い浮かばない。会場整理の方が、盛んに天井が低いことを気にしていた。確かに低い。むき出しの天井パイプ上の灯体は単なるハンガー吊りでなくてペンチ締めしてギリギリまで上にあげている。元々そうなのか、舞台はすのこ状の板張り。この演目には、もっと無機的なものが似合うと思うが、あえて木の温もりを求めたのか。結末からすると、ちょっとそんな気もしなくはないのだ。

 クロノスとは、ギリシア神話でいうところの「時間の神」(ゼウスの父たるクロノスとは違う神だということを初めて知った)。時間軸はここではあまり関係ない。時間の古い場面から順番に場面が展開するなどと考えてはいけない。「YOU TUBE」で「ヒメ ヒバナ」で検索したら表示された動画を、気の向くままに再生しているようなもので、時は止まっている。そこには正しいものも、そうでないものも、きっと全てがある。

 待っている少女・クロノは、必ずしも善意の第三者ではない。善意の第三者は、容易に悪意や憎悪に転じ、そして隕石(炎上)をもたらす。我々は、そんな世界に今生きているのだ。そんなことを感じさせてくれる舞台でした。

 観劇する前、同じ通り沿いにある「太文」というおそば屋さんで夕食をとった。そこを選んだのは何となくだが、やはり木の壁と家具に囲まれた店内。大変ていねいな対応をしてくださるたぶん夫婦のご主人とおかみさん。後になって改めて、この店でづけ丼を食した30分くらいが、この日最も人の温かみを感じた時間でした。小さい店なのですが、是非おススメしたいです。

 「人間機械」の皆さん、お疲れ様でした。これからもがんばってください。